沖縄の伝統的な染物・織物9選。その歴史や特徴を紹介

鮮やかな紅型模様/©OCVB

染物、織物は、その土地土地の気候や産物によってさまざま。文化の差が出やすいとされる南北に長い日本は、実に多種多様な染物、織物が存在します。

ここ沖縄でも亜熱帯という土地柄、古くから、多くの染織物が地域の人たちによって育まれてきました。今回は、そんな沖縄の染物や織物を紹介します。

琉球王国の交易文化で育まれた「琉球紅型」

沖縄を代表する伝統工芸・琉球紅型/©OCVB

まずは、沖縄を代表する伝統工芸の一つでもある琉球紅型(びんがた)から。

紅型の起源は古く、13世紀頃といわれています。琉球王国の交易文化の繁栄と共に技法や模様が確立していき、貴重な交易品でもありました。その頃の琉球王朝は交易が盛んで、交易の中で取り入れられた各国の華やかな織物・染物の文化や技法によって紅型が誕生したとされます。

以来、琉球王国の保護の下、婦人の礼装や神事の装束として重宝され、さらに強化された紅型製作により、当代随一の絵師や彫師が下絵や型紙を生み出していきました。出来上がった紅型の衣装は、王族をはじめ、稽古を積んだ士族の少年たちも身に着けて組踊などを踊りましたが、多くは王・士族の女性によって着用されました。

かつて、日本の民藝運動の父といわれた柳宗悦(やなぎ・むねよし)氏は、自身の民藝運動の大部分を沖縄の布の蒐集が占めていたといわれて、「どんな国の女たちも沖縄の『びん型』より華麗な衣裳を身につけたことはないでしょう」(「琉球の富」柳宗悦著)と記しています。

【参考記事】
琉球王国が育んだ「紅型」の魅力と歴史を知る

琉球王国のお膝元で今も伝えられる「首里織」

まさに耽美な色合いが施される首里織/©OCVB

2022年4月、那覇市首里エリアに「首里染織館suikara」がオープンしました。ここは琉球紅型と首里織の普及拠点となる施設です。首里の地で王府の貴族、士族用に色、柄ともに究極まで追求された、格調高く、悠々として麗美な織物「首里織」が親しまれています。

「首里織」という名前は1983年に国の伝統的工芸品に指定される際、首里に伝わるさまざまな紋織や、絣織物を総称するネーミングとして採用されました。首里で多様な技法が育まれた背景には、諸外国との交易で技術がいち早く入ってくる地域だったこと、島々から税として納められた布が集まったこと、首里の女性たちは織りをたしなみ、それらの技法を洗練された感覚と自由な発想で進化させてきたことなどがありました。

現在、首里織の原材料として絹、綿、麻などが使われ、染料は琉球藍やフクギ、テカチ、イタジイなどの植物などが用いられています。

1983年に国の伝統的工芸品に指定された首里織/©OCVB

「首里染織館suikara」では琉球紅型や首里織の展示、情報が公開されているので、観光の際はチェック立ち寄ってみてください。

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はた織りの音が集落に響く「琉球絣・南風原花織」

琉球絣/写真提供:琉球絣事業協同組合

沖縄本島南部にある南風原町(はえばるちょう)は古くから琉球絣(かすり)や南風原花織をはじめ、さまざまな織物の産地として知られています。東南アジアから琉球王国に伝わった絣は、その後、江戸時代の日本へと伝わりました。琉球絣は日本全国の絣のルーツでもあります。

琉球絣/写真提供:琉球絣事業協同組合

「琉球絣」の歴史は14~15世紀頃までさかのぼり、インドから東南アジア各地に広がった絣が沖縄に入ってきます。これが日本各地の絣のルーツになったといわれています。主に絹糸を使用した織物で、草木を原料とした染料などが使われます。その染料糸を染め上げる際は、図柄を基に模様部分を1カ所ずつ手括りで締め上げていくことで、独特の絣模様を作り上げます。

琉球絣の織りは、緯糸を経糸の間に道具を投げ込んで手作業で織っていくという昔ながらの技法で織られているので、「琉球かすり会館」周辺の照屋、本部(もとぶ)、喜屋武(きゃん)集落界隈は「かすりロード」と呼ばれ、“シャラーントントン”とはた織りの音が響き、反物を野外に広げたりする作業風景が見られる、風情ある散策ルートとなっています。

南風原花織/写真提供:琉球絣事業協同組合

また、「南風原花織」は多様な色彩の花糸を使った、立体感のある浮き柄が魅力的で、高い人気を得ています。染色の特徴は、県内で採取される琉球藍、フクギ、テカチ染めなどの植物染料を用いること。複雑に織り上げた糸で図柄を浮き上がらせる南風原花織は、一見すると刺繍と見間違うような緻密な浮き柄も特徴の一つです。

南風原花織/写真提供:琉球絣事業協同組合

琉球かすり会館では、後継者の育成や展示販売などを行っており、無料ではた織り風景などが見学でき、琉球絣や南風原花織などの歴史や作業工程を学ぶことができます。事前予約すればはた織りの体験などもできるので、ぜひチャレンジしてみてください。

琉球かすり会館/写真提供:琉球絣事業協同組合

大事な人への思いが詰まった「読谷山花織」

フクギ、車輪梅などの植物染料が使われる読谷山花織/©OCVB

続いては、沖縄本島を中部まで移動し、リゾートエリアとして人気の読谷村(よみたんそん)に読谷山花織(ゆんたんざはなうい)と呼ばれる織りがあります。1999年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された與那嶺貞(よなみね・さだ)さんの貢献により、この読谷山花織が現在に伝わっています。

読谷はかつて、さとうきび畑とともに桑畑もあり、蚕も飼われていました。その頃、その繭から糸をひいて地機(じばた)で織って家族の衣装を作ることが当時の女性にとっては一人前となる条件になっていたといいます。

読谷山花織は紋(もん)織物の一種で、絹糸や綿糸を用いて、染料はフクギ、車輪梅(しゃりんばい)、琉球藍などの植物染料を主に用いています。

色糸で浮き出す幾何学模様は花のように美しい/©OCVB

手花織は、手で色糸を縫い取るように模様を構成して織っていきます。色糸で浮き出す幾何学模様は花のように美しく、図柄に立体感を醸し出しています。この紋様に絣や縞、格子をあしらった着尺や帯、手巾(ティーサージ)などがあり、かつて手巾は愛しい人に思いを込めたり、また、旅立つ肉親のために安全を祈り織ったりした、そんなストーリーの伝わる織物です。

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柳宗悦氏もこよなく愛した「芭蕉布」

高品質な喜如嘉の芭蕉布/©OCVB

2021年5月、世界自然遺産「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の該当エリアの一つ、やんばるにも古くから織物が伝わっています。場所は、大宜味村(おおぎみそん)の喜如嘉(きじょか)。そのシンボルとして「大宜味村立芭蕉布会館」も建てられています。

芭蕉布は品質・生産量ともに著しく高く、品評会でも喜如嘉のものは他地域のものとは分けて審査されるほどでした。前述した柳宗悦氏も芭蕉布を愛してやまなかったそうで、私家本の「芭蕉布物語」の中で「今時こんな美しい布はめったにないのです」と絶賛しています。

芭蕉布の製法は、布を織る前に綛(かせ)を精練する「煮綛(にーがしー)」と、喜如嘉のように布になってから精練するものの2種類に大別されます。前者は主に琉球王国時代、士族の衣装として織られていましたが、後者は庶民の夏衣として戦前まで沖縄各地で盛んに作られていました。

庶民の夏衣としても重宝された芭蕉布/©OCVB

この芭蕉布も1972年、沖縄が日本に復帰すると同時に、沖縄県の無形文化財に指定され、平良敏子さんはその保持者としての認定を受けました。その2年後、国指定の重要無形文化財として、彼女を代表とする「喜如嘉の芭蕉布保存会」が保持団体として認定を受けています。

糸芭蕉を育てる畑仕事から始まり、23もある製造工程から、シンプルながらも沖縄の人たちの底力を象徴するような織物が誕生します。

芭蕉布会館の織り手/©OCVB

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いつの世までも末永く…模様に思いを込めた「八重山ミンサー織」

「いつ(五つ)の世(四)までも末永く…」の模様が特徴な八重山ミンサー織/©OCVB

沖縄の離島でも美しい手仕事して、現在にもさまざまな染織物が伝わっています。その代表的なものは、「いつ(五つ)の世(四)までも末永く…」という思いがその模様に込められた八重山のミンサー織。

元々は、藍一色の「ミンサーフ(ウ)」という帯があり、それを愛する男性に贈ったものでした。近年まで竹富島にこの帯としてあったものが今日の「八重山ミンサー」の原型とされています。

作業工程は、大きく分けると意匠設計、染色、絣括り、糊張り、巻取りなどの下準備作業を経て、綜絖通し、製織(織り)をして布になっていきます。

石垣島の「みんさー工芸館」では、ミンサー織が施された商品が購入できるほか、手軽にできるコースターをはじめ、本格的なテーブルセンターやタペストリーなどの手織り体験も可能です。

みんさー工芸館ではミンサー織が施された各商品が購入できます/©OCVB

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宮古島の温暖な気候で育まれる「宮古上布」

400年以上の歴史を誇る宮古上布/©OCVB

そして、宮古島には400年以上の歴史を誇る宮古上布があります。

400年前もの昔、台風に遭い沈没寸前だった琉球王国の進貢船に乗り合わせていた宮古の洲鎌与人・真栄という男が勇敢にも荒れ狂う海に飛び込み、船の故障を直して乗組員全員の命を救いました。このことが琉球王の耳に入り、この功績を讃えて真栄は間切頭主に任命、その妻・稲石はそのことを大いに喜び、心を込めて綾錆布を織って王に献上したとされています。これが宮古上布の世に出るきっかけとなりました。

高級感あふれる宮古上布の風合い/©OCVB

宮古上布の原料糸はいらくさ科の多年草である苧麻から採ります。温暖な宮古島では生育が良く、35日~40日間隔で刈り取られ、年に4~5回の収穫が可能ですが、中でも5月~6月の苧麻は“うりずんブー”と呼ばれ、最も良質とされています。その後、糸積み、図業・絣締め、染色と工程を経て、宮古上布となります。

宮古島ではさまざまな体験メニューも用意されているので、宮古に伝わる伝統工芸の一端に触れてみてください。

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島の自然と織女たちの遥かな時を織り込んだ「与那国織」

八重山諸島の一つで、日本の最西端に位置する与那国島。この島で生まれた与那国織の歴史は古く、古い文献をひもとくと、約500年以上の歴史があります。

16世紀前半には既に貢ぎ物として納められていたとされている与那国織は、大きく4種類に分けられます。昔は役人にのみ着用が許されたという幾何学的に表現されている「花織」は、柄によってダチン花(八つ花)、イチチン花(五つ花)、ドゥチン花(四つ花)と呼ばれています。直線的な構図の中にも伸びやかで広がりがあり、格子縞の織り合わさった色合いが布に深みを与え、かつ、優しさの感じられる織物です。

花織/写真提供:与那国町伝統織物協同組合

かつては普段着として用いられていた「ドゥタティ」は4枚の布を合わせて作ることからドゥ(4枚)タティ(仕立て)と呼ばれています。苧麻や木綿を使い、衿は黒無地、袖は短く、丈も膝下2寸くらいで簡素で涼しく着られるように工夫されています。今日でも島内での消費がほとんどで、豊年祭や各行事になると島人はドゥタティを着用します。

ドゥタティ/写真提供:与那国町伝統織物協同組合

「シダディ(手巾)」は経糸(たていと)は白、緯糸(よこいと)は植物染料で染めた色糸を使い、板花織と称する柄の織物。綿や麻地などにフクギや車輪梅などの草木染、泥染などを施した色糸を織り込んでいきます。かつては、相愛の表現として、また、兄弟の旅立ちの航海安全を祈るなどの意味を込めて贈られていました。祝いの場で使用されることも多く、また、長寿で亡くなった方の葬式でも用いられることから、シダディの意味深さを感じさせます。

シダディ(手巾)/写真提供:与那国町伝統織物協同組合

ミウト(夫婦)などの絣模様が美しい「カガンヌブー」は主にドゥタティと対(つい)で用いられます。細帯の中央には夫婦を表すミウト絣の模様、両端には百足(ムカデ)柄の模様があります。

カガンヌブー/写真提供:与那国町伝統織物協同組合

与那国島では、与那国織の制作工程の見学や製品の販売も行っています。与那国島の自然と織女たちの遥かな時を織り込んだ豊かな織物文化に触れてみてください。

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全ての工程を一人の織子が行う「久米島紬」

日本の紬絣技法の原点とされる久米島紬/©OCVB

沖縄本島から西に約100km、久米島には久米島紬という織物が伝わっています。久米島紬の起こりは、15世紀の後半に堂の比屋と呼ばれる非凡な人物がいて、中国から養蚕産業を学び、これを広めたことから始まったといい伝えられています。

実は、日本の紬絣技法は久米島を起点に発達したとされています。久米島から沖縄本島、奄美大島を経て本土に伝えられ、大島紬、久留米絣、結城紬などの基となり、日本全国に伝播されていきました。

天然の草木、泥によって染色される久米島紬の原料糸/©OCVB

この久米島紬は、蚕から取った真綿でつむいだ糸を原料糸として、天然の草木、泥によって染色していきます。織りは丹念に手織りで織り上げていきますが、この久米島紬の特徴は、伝統を踏襲して一貫した手作業を一人の織子が行う点。こうした手作業から「質朴な奥ゆかしさ」をまとった紬が誕生します。

「琉球布紀行」の著者・澤地久枝さんはこの「質朴な奥ゆかしさ」が生まれる工程として、「砧(きぬた)打ち」を挙げています。「親子、夫婦、きょうだいなど、気の合った二人」が、「つよすぎず、また不足もしない程度に布を打」ち、なめらかな光沢を放つようになります。

こうした思いが込められた久米島紬は、1975年に伝統工芸品として通産産業大臣の指定を受け、1977年には沖縄県の無形文化財に、さらに、2004年には国の重要文化財に指定されました。

久米島紬の里 ユイマール館の織り手/©OCVB

「久米島紬の里 ユイマール館」では久米島紬の織り染め体験を行っていますので、お気軽に体験してみてください。

参考図書:
「琉球布紀行」(澤地久枝、新潮社)

参考サイト:
首里染織館suikara南風原町観光協会 公式サイト南風原町観光サイト読谷山花織事業協同組合喜如嘉の芭蕉布宮古織物事業協同組合与那国町伝統織物協同組合久米島紬の里 ユイマール館

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