世界文化遺産「琉球王国のグスク」の楽しみ方 中城城跡編【世界遺産めぐり】

沖縄本島中部の中城村(なかぐすくそん)に世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つ、中城城跡(なかぐすくじょうあと)があります。

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標高約160mの丘陵上に位置する中城城跡/©OCVB

中城城の歴史と、見どころは?

このグスクがいつ、誰の手で築かれたかは明らかになっていませんが、推定では、15世紀の始め頃には築かれていたといわれています。そんな中城城跡ですが、このグスクを有名にしているのが、琉球王国が統一される頃に活躍した武将・護佐丸(ごさまる)の存在です。

護佐丸は、1440年頃、首里王府の命を受けて、現在の読谷村(よみたんそん)にある座喜味(ざきみ)グスクからここに移り、城郭を拡張していったと伝えられています。

この中城城跡を訪れた人たちが魅了されるのは、二の郭からの眺望と、その城郭を形成している石積みの曲線の美しさ! 下から見上げると、真っ青な空に石垣の曲線が浮かび上がり、ついついシャッターを押す手が止まってしまうほど。

中城城跡の特徴でもある二の郭の美しい曲線/©OCVB

ちなみに、この美しい石積みは「布積み」という技法。直方体に加工した石を、一段ごとに高さをそろえてブロック状に積み上げる方法です。また、この中城城跡では、切石積みの一つである布積みのほか、もう一つの切石積みである相方積み(あいかたづみ)、そして、野面積み(のづらづみ)の3種類の石積みを一度に見ることができます。「こんな高いところまで、こんなに大きな石を、こんなにきれいに積み上げて…」などといにしえに思いを馳せるのもいいかもしれません。

あのペリーも称賛した建造技術

この中城グスクの築城技術を称賛した、ある有名人がいます。その人は、1853年に沖縄に立ち寄ったペリー提督。ペリー艦隊の一行が測量調査に訪れた際に、「要塞の資材は、石灰岩であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった。石は…非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰(しっくい)もセメントも何も用いていないが、この工事の耐久性を損なうようにも思わなかった」(日本遠征記)と記し、その築城技術の高さを称賛しています。

西の郭から正門を眺めるペリー調査団の一行/©OCVB

さて、目線を変えて、絶景を楽しみましょう。この中城城跡は標高約160m。南には中城湾、西には東シナ海の大海原が広がります。この絶景を楽しむために、入り口からちょっと頑張って歩きましょう。

この絶景の中で撮影するウエディングフォトも人気/©OCVB

築城当時の面影を残す中城城跡を散策

少し歩いたところにやっと「正門」が現れます。石垣が両サイドからせり出している間を抜けて、歩みを進めていきます。

南西の方角に向かって立てられた正門/©OCVB

正門を通り抜けたところで中城城跡の特徴の一つにもなっている「ヒヤー」の発射口のチェックも忘れずに。ヒヤーとは、火薬に火を付けて発射する兵器のこと。この正門付近の城壁には四角い穴があいていて、長い棒の先に鉄製の筒が付けられて、そこに石の弾を入れて火薬に火を付けて発射します。城壁に身を潜めながら敵の侵入を防いだ、最初の砦(とりで)だったのかもしれません。

正門の上にはかつて櫓(やぐら)が設けられていました/©OCVB

さらに、120mほどの「西の郭」を横切ると、その護佐丸が井戸をとり込み増築したとされる「北の郭」、その先には、ペリー探検隊一行が“エジプト式”と評した美しいアーチがかたどられた「裏門」が現れます。

護佐丸が井戸をとり込み増築したとされる「北の郭」/©OCVB
ペリー探検隊一行が“エジプト式”と評したアーチが美しい「裏門」/©OCVB

石垣の造形美を楽しみながら絶景エリアへ

石積み技法の最も進んだ積み方とされる相方積みによって築かれた「三の郭」、絶景が眺められる「二の郭」、そして、中城城で最も広い「一の郭」と芝生のエリアが続きます。

一の郭と二の郭をつなぐアーチ状のゲート/©OCVB
美しい石垣が青い空に映える/©OCVB

この「一の郭」にはかつて正殿があり、後に番所(ばんじょ)が建てられ、廃藩置県後は中城村役場として使用されていましたが、沖縄戦で消失してしまいました。

ただ、この中城城跡は、沖縄戦ということであれば、グスクの中では比較的被害が少なく、ほぼ築城当時の姿を残す貴重なグスクです。こうした理由が、この中城城跡を世界遺産に登録した理由だったのかもしれません。何はともあれ、築城当時の様子を今に伝えてくれているということが、ロマンをかきたてられるではありませんか…。

訪れた際は、ぜひゆっくりと時代を感じながら空気を味わって/©OCVB

中城城跡を増築した護佐丸にまつわるエピソード

ロマンを感じられる城(グスク)ということで、もう一つばかり小話を。前述した護佐丸、当初は首里の命で、この中城城跡に移ってきますが、天下を狙う按司・阿麻和利(あまわり)が、首里と勝連の間に立ちふさがる護佐丸を除くため、「護佐丸が謀反を企んでいる」と王に讒言(ざんげん)。王はこの報告を信じて、阿麻和利に護佐丸討伐を命じてしまいます。

1458年、護佐丸は首里王府軍の旗を掲げて攻めてきた阿麻和利軍を見て謀りごとと分かっていながら、王への忠誠心から「王府軍には逆らえぬ」と、妻子もろとも自害します。その後、阿麻和利も讒言がばれて、王府軍によって滅ぼされたと伝えられています。

この歴史的な出来事は「護佐丸・阿麻和利の乱」と呼ばれ、沖縄の伝統芸能である組踊などの題材にもなっているので、沖縄の歴史に詳しい方の中にはご存知の人も多いかもしれません。ただ、この関係性は首里王府側からの見方で、「阿麻和利の方こそ農民たちの英雄だった」とする説もあり、琉球史に残る謎に包まれた事件といわれています。

眺望・石積みの美しさと、護佐丸・阿麻和利たちの謎に包まれたこの歴史的事件によって、中城城跡はどこか謎めいた美しさをまとった城…当時の様子を伝えるという歴史的価値も相まって、人々を魅了しています。

「中城城跡」
住所:沖縄県中頭郡北中城村字大城503(中城城跡共同管理協議会事務所)
電話:098-935-5719
※新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から臨時閉園中(当面の間)


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