世界文化遺産「琉球王国のグスク」の楽しみ方 首里城編【世界遺産めぐり】

2021年7月26日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の世界自然遺産登録を決定しました。

紹介記事:「やんばる」ってどんなところ?|世界遺産登録で注目を集める沖縄本島北部を知ろう①

沖縄県内の世界遺産登録は今回で2度目。前回は2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界文化遺産として登録されています。
この記事では、沖縄のもう一つの世界遺産「グスク」を紹介していきます。

→沖縄の世界遺産に関する記事一覧はこちら

沖縄の5つの「グスク」は世界文化遺産!

沖縄の城の中で最も古いとされる、うるま市の「勝連城跡」/©OCVB

「グスク」とは琉球王国時代に王や英雄が築いた城のことで、沖縄本島内には、今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡と琉球の歴史が色濃く残るグスクが5つあります。

まずは沖縄のシンボルともいわれる「首里城」の見どころを、首里城公園の見学ルートに沿ってご紹介します。

沖縄の歴史・文化を象徴する「首里城」とは?

那覇市内を見下ろす首里の高台に位置する「首里城」/©OCVB※画像は火災前のもの

正確な築城の年代や築城主は明らかになっていませんが、調査などの結果から首里城は14世紀末頃に建てられたと推定されています。

1429年に国王・尚巴志(しょうはし)が「南山・中山・北山」の3つに分かれていた国を統一して琉球王国が誕生。首里城は政治・外交・文化の中心となり、1879年に最後の国王・尚泰(しょうたい)が明治政府に明け渡すまで約450年間もの間栄え続けました。

琉球王国最大の建造物ともいわれた首里城からは、長い交流の歴史があった中国と日本の文化を取り入れた独自の建築様式を見ることができます。

しかし、1925年に国宝に指定されるも、1945年にはアメリカ軍の攻撃により全焼。琉球王国時代には3度、第2次世界大戦で4度目の火災に遭い、そのたびに再建を成し遂げて来ました。

1992年の首里城公園開園後も復元工事は続き、2019年2月には長きにわたった工事が完了しますが、同年10月31日に5度目の火災が発生。首里城正殿を含む建物8棟と収蔵していた400点ほどの美術工芸品も焼失しました。現在は2026年までの復元を目指し、復旧工事が進められています。

2,000円札紙幣でおなじみの「守礼門」をくぐって城内へ

首里城公園のシンボリックな存在「守礼門」/国営沖縄記念公園(首里城公園):守礼門

首里城を見学する際、スタート地点で出迎えてくれるのが2,000円札紙幣にも描かれている「守礼門」。門といっても扉がなく、中国風の三間牌楼(さんけんはいろう)形式で、左右に比べて真ん中の柱の間隔が広くなっています。

当時は、この真ん中は、明や清の皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)で琉球を訪れた明や清の高官しか通れなかったそうです。訪れた際はぜひ真ん中を通ってみてください。

守礼之邦とは「礼節を重んずる国・琉球」を意味する/©OCVB

また、扁額(へんがく)には「守禮之邦(しゅれいのくに)」と書かれていますが「守禮(しゅれい)」とは「礼節を守る」ことで「琉球は礼節を重んずる国である」という意味があります。

琉球の人々が遥か昔から節度を守り生きてきたことが伝わる「守礼門」は1527~55年に建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されましたが、沖縄戦で焼失。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたものです。

石門と聖なる森から成る世界遺産「園比屋武御嶽石門」(そのひゃんうたきいしもん)

世界遺産に認定されている「園比屋武御嶽石門」/国営沖縄記念公園(首里城公園):園比屋武御嶽石門

「守礼門」の横にある「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」は国王が城外に出掛ける際に道中の安全を祈願したとされる場所で、琉球の最高位神女・聞得大君(きこえおおきみ)の即位式の際にもここで参拝してから、南城市にある斎場御嶽(せーふぁうたき)に向かったといわれています。

石門は木の扉以外は琉球石灰岩で作られ、背後に広がる森一帯は園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)という聖地になっており、王家ゆかり地である伊平屋島の神を祭っています。首里城は、正式には、正殿下部に残る正殿の「遺構」と、この「園比屋武御嶽石門」の2カ所が世界遺産として登録されています。

正殿までの道のりには荘厳な城門が点在

訪れる人を歓迎する「歓会門」/国営沖縄記念公園(首里城公園):歓会門
水に関する命名がされた「瑞泉門」/国営沖縄記念公園(首里城公園):瑞泉門

「守礼門」「園比屋武御嶽石門」に続くのは、冊封使の面々や訪れる人への歓迎の意を込めて命名された「歓会門」と「立派なめでたい泉」を意味する瑞泉の名が付いた「瑞泉門」です。首里城正殿までの道中には数々の城門が築かれ、それぞれに役割を意味した興味深い名が付けられています。

「瑞泉門」はその名の通り、手前に「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれる湧水のスポットがあり、王宮の大切な飲み水としても使われていたそうです。「泉の水量や水質は琉球第一」という大意の「中山第一(ちゅうざんだいいち)」など、その水は多くの人に称賛されました。

王宮の大切な飲み水とされた「龍樋」/国営沖縄記念公園(首里城公園):龍樋
「中山第一」の石碑/国営沖縄記念公園(首里城公園):「中山第一」の石碑

続いて現れるのは「漏刻門(ろうこくもん)」。ここはかつて、櫓(やぐら)の中の水時計で城の内外に時を知らせていました。しかし1739年に、その水時計が不完全であるとされ、やがて太陽と「日影台(にちえいだい)」でできる影を使った時刻が琉球王国の時を刻みます。

この時間制度は1879年の廃藩置県まで続いたそうです。日影台は漏刻門をくぐった先に設置されています。

「かご居(い)せ御門(うじょう)」とも呼ばれた「漏刻門」/国営沖縄記念公園(首里城公園):漏刻門
往時もこの場所に置かれていた「日影台」/国営沖縄記念公園(首里城公園):日影台

“首里城発祥の地”京の内にも立ち寄って

正殿エリアに入る前に「京の内」へ/国営沖縄記念公園(首里城公園):京の内

下之御庭南側の石垣の向こう側には、“首里城発祥の地”ともいわれる大事なエリアがあります。正殿エリア(有料)に入場する前に忘れず立ち寄りましょう。「京の内(きょうのうち)」といわれるこの場所は、城内最大の信仰儀式の場。琉球独自の信仰の最高位に位置する聞得大君や大アムシラレといった神女(しんじょ)たちが、ここで王家繁栄、航海安全、五穀豊穣(ごこくほうじょう)、国王の長寿などを神に祈っていました。

京の内にある御嶽/国営沖縄記念公園(首里城公園):京の内

この京の内にある首里、儀保、真嘉比の3つの行政区の拝みの場所・御嶽(うたき)のほか、首里城公園内には10の御嶽があるといわれていて、現在9つの御嶽が見つかっているそうです。残りの1カ所がどこなのか、気になりますね。

券売所の「広福門」から改札のある「奉神門」へ

券売所も兼ねている「広福門」と「下之御庭(しちゃぬうなー)」/国営沖縄記念公園(首里城公園):広福門

さらに、王府時代、神社仏閣を管理する「寺社座(じしゃざ)」と、士族の財産を巡る争いを調停する「大与座(おおくみざ)」という役所が置かれ、現在は券売所を兼ねる「広福門」を過ぎ、中央エリアの「下之御庭(しちゃぬうなー)」を通過すると、改札のある「奉神門」が現れます。

3つの入り口がある「奉神門」今回も改札のある真ん中をくぐって中へ。/国営沖縄記念公園(首里城公園):奉神門

「奉神門」にも「守礼門」と同じく3つの入り口があります。こちらも、3つの門のうち中央は国王や中国からの冊封使など限られた身分の高い人だけが通ることができる門で、それ以外の役人は両側の門から入城していたといわれています。改札のある真ん中をくぐって正殿エリアに入りましょう。

火災のあった正殿エリアへ…焼け残ったものが私たちに伝えてくれるもの

工事用の柵で囲われた正殿エリア/国営沖縄記念公園(首里城公園):御庭

首里城の中心部に位置し、火災により焼失した正殿前の御庭(うなー)部分には屋根瓦の入った工事の袋がいくつも並んでいて、復元の真っ最中という雰囲気。この瓦は比較的損傷が少ないものらしく、今後の復元の際に利用するため、保管しているそうです。

焼け残った物が並ぶ/国営沖縄記念公園(首里城公園):正殿
「龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)」のひげ部分/国営沖縄記念公園(首里城公園):正殿

正殿跡には足場を利用した簡易通路が組まれ、その通路に沿って進んでいくと、足場の間に焼け落ちた屋根部分の両サイドに設置されていた「龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)」と呼ばれる龍のひげ部分と頭部、赤瓦の瓦礫(がれき)が並べられ、火災のすさまじさが感じられます。

赤瓦の瓦礫/国営沖縄記念公園(首里城公園):正殿
世界遺産登録されている正殿の遺構/国営沖縄記念公園(首里城公園):正殿の遺構

その横には、こちらも世界遺産登録されている正殿の遺構が大切に建屋で囲われています。王位争いの火災、沖縄戦など歴史上、幾たびも災禍をくぐり抜けてきた遺構を見ていると、今回の火災を経験した私たちに「大丈夫!」と語り掛けてくるような懐の深さを感じずにはいられません。

男子禁制の首里城の大奥「御内原」

続いて、2019年1月に復元が完成した、女性が取り仕切る「奥」の世界、“大奥”エリアへ進みます。正殿を境にした東側の一帯は「御内原(おうちばら)」と呼ばれる、国王やその親族の私的空間です。当時は、王妃を頂点とする厳正な女官組織のもとに多くの女性が仕えていて、「淑順門(しゅくじゅんもん)」は、女性が全てを取り仕切る「奥」の世界へ通じる門でした。

最初に現れる建物は、御内原に勤める女官たちの居室「女官居室(にょかんきょしつ)」です。御内原で仕える女官たちは首里城内に住み込みで暮らしていた人と、通いで勤める人がいたといわれています。国王の身の回りの世話やさまざまな「奥」の職務を行う女官たちを総称して「城人(ぐすくんちゅ)」といい、城人は身分に関係なく器量に優れた女性が選ばれていたそうです。

国王の霊柩を安置していた「寝廟殿」/国営沖縄記念公園(首里城公園):寝廟殿

創建年不明の「白銀門」の先には、国王の霊柩を安置していた「寝廟殿(しんびょうでん)」があります。この寝廟殿の周囲にも、玉陵(たまうどぅん)の墓前と同様に、サンゴが敷き詰められています。また、建物についてはよく分かっていないため、建物の輪郭のみを平面的に示しています。

御内原の入り口「淑順門」/国営沖縄記念公園(首里城公園):淑順門
御内原へのルートとして使われた「久慶門」/国営沖縄記念公園(首里城公園):久慶門

現在は鑑賞ルート的に「淑順門(しゅくじゅんもん)」を出て守礼門方面に向かう際は「久慶門(きゅうけいもん)」通過していきますが、琉球王国当時は御内原へのルートとして「久慶門」が使われ、主に女性が通っていたといわれています。

高台ならではの絶景スポットも!「東(あがり)のアザナ」「西(いり)のアザナ」

「東のアザナ」から正殿方面を臨む/国営沖縄記念公園(首里城公園):東のアザナ

さらに御内原エリアを奥に進んで行くと、城郭の東端に築かれた物見台「東(あがり)のアザナ」があります。標高約140mの位置にあって、城外の町や城内の正殿裏・御内原一帯、天候によっては久高島を見ることもできます。当時は、「漏刻門(ろうこくもん)」と共に、城内に時刻を知らせる役割を担った場所でもありました。

「西(いり)のアザナ」からの眺め/国営沖縄記念公園(首里城公園):西のアザナ

また「東(あがり)のアザナ」に対し、有料エリア手前の「京の内」を奥に進むと「西(いり)のアザナ」があります。那覇港方面や遠く水平線上に慶良間諸島を望むこともできますので、こちらの景色も併せて楽しみましょう。

再建中でも見どころは盛りだくさん!

火災以降、首里城公園の有料区域は閉場していましたが、2020年6月より一般公開が開始されました。世界文化遺産登録されている正殿地下の基壇遺構や、炎をくぐり抜けた大龍柱などが見学できます。火災の痕跡は生々しい物ですが、復元が進む首里城はいましか見られない姿です。

※正殿遺構の一般公開などの詳細は公式サイトで確認

また、公園内は緑豊かで龍潭(りゅうたん)、弁財天堂、円鑑池などの散策コースや歴史的建造物が点在しています。火災の影響を受けていないエリアや文化財は見学が可能で、歴史好きにはたまらないスポットが盛りだくさんですので、この機会に首里城巡りの旅へ出掛けてみませんか。

弁財天堂や龍潭の周囲をのんびり散策するのもおすすめ/©OCVB

※記事の詳細は2020年10月のものです
※新型コロナウイルス感染症の拡大状況により、休園や開園時間の変更等が生じる場合があります。利用の際は事前にご確認ください

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関連記事:正殿・御内原エリアを巡る「首里城おさんぽ後編」はこちら!


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